最近、GDPや成長戦略という言葉を、よく聞くでしょう。それって、何だか知ってますか?
GDPは国内総生産です。一年間、あるいは一定期間内に、国内で生産されたすべての財/製品やサービスを合計したものを、GDPといいます。
ところで。GDPが上がることは、日本という国が豊かになることでも、みんなの所得が年間150万円増えることでもありません。GDPがのびるのは、日本や世界中の人々が健康で幸せになり、貧しい人たちや自殺する不幸せな人が減ることでもありません。もちろん、お金持ちと、貧しい人との差がちぢむことでもありません。
無理してGDPを上げようと思えば、たくさんの人が不幸せでうつ病になり、治りにくい難病にもなり、ネット販売でお薬をバンバン買って、長期入院したりすると「経済成長率を上げる」ことができます。世界一の地震国に原発を次からつぎへと建てたり、刑務所をドンドン増やしても、GDPは上がります。また、台風や竜巻で被害にあった地域を復こうしたり、放射能で汚染された地域を「除染」する費用も、「経済成長」として足し算されます。
どうして大人たちが(皆じゃないですよ。ごく一部の大人だけですよ)、こんなバカげた「経済成長」にこだわっているかと言うと、物を測定する「ものさし」や基準が、クルッてるんですね。社会の豊かさや進歩度をはかる尺度に、欠陥があるからです。
GDPは、もともと国の経済規模や経済成長をはかるために、つくられました(追記参照)。その他のものをはかるには適切でないので、あたらしいモノサシをつくる運動が世界中ではじまっています。
GDPの欠陥については、もう過去何十年にわたり、主に学者の間で話されてきたのですが、先の世界的な経済不況をきっかけとして、経済・お金だけでないハカリを作ろうという動きが、また出てきました。GDPという尺度はあてにならない、大きな格差こそが経済危機の原因になることに、世界が気づきはじめたようです。
ですが日本は、あいかわらず、この時代遅れのたよりないモノサシにこだわり、GDPが増えることが、社会が進歩している、社会がいい方向に向かっていると、かん違いしているようです。
GDPの欠点について、少しみてみましょう。
A)所得分配と経済の持続可能性
GDPは、単に国の平均値を表します。その値は、貧富の差や、国民所得がどのように分配されているかを勘定にいれてません(Stiglitz, Sen, and Fitoussi, 2009)。ですのでGDPがのびることと、個人の所得が増えることは、別物です。国民の大半の99%の人たちの所得が減り生活が苦しくなっても、残りの1%が、異常なくらいけた外れに裕福で収入が上がれば、GDPの値は上昇します。GDPはズサンなモノサシなので、見すごしてはならない不平等や不正義といった現象を無視してしまうわけです。
B)福祉を加えないGDPという値
GDPの額は、市場で取引されたサービスや財だけを勘定するので、それ以外の「生産活動」は、計算に入っていません。たとえば、あなたのお母さんが赤ちゃんの世話をしたり、家族のために洗濯をしてくれたり、お弁当をつくってくれたり、病人の看病をしても、こういう日常生活に欠かすことのできない活動はGDPの得点には入りません。お父さんが、田んぼや畑を耕し、お米や野菜をつくって家族みんなでおいしくご飯を食べたり、近所の人におすそ分けしても、GDP率はのびません。
もちろん、あなたがケガもせず、風邪もひかず、毎日たのしく元気にくらしても、環境にやさしく自転車に乗って通学しても、町で雪かきや海岸のゴミひろいのボランティアをしても、妹に算数を教えてあげたり、弟とキャッチボールをしたり、おばあちゃんに味噌の作り方を教えてもらったり、おじいちゃんと山に登ったり、クラスメートの○○ちゃんを好きになってやさしくしても、みんな喜んでくれるでしょうが、あまりGDPを上げる役にはたちません。でも、こういう楽しみとか喜びって、みんなが、生きるうえでとっても大切じゃないですか?
おかしなことにGDPの尺度では、こういう人の幸せや福利に貢献する貴いいとなみは、プラスとして見なされません。ですが、最近のドイツやフィンランドの研究では、不ばらいの家事や育児など非市場での活動・状態の値を見つもると、GDPの30~40%に相当すると計算されてます(Stiglitz, 2009)。
(はじめにも書きましたが)それとは対照的に、毎日、車で長距離通勤をして渋滞にまきこまれ、ガソリンをたくさん消費すれば、ストレスもたまるけどGDPも上昇します。家の井戸の水を飲まないで、コンビニのペットボトルをたくさん買えば、自家栽培の新鮮な野菜やくだものを食べないで、トラックや飛行機でガソリンを浪費しながら、遠方から運ばれてきた野菜やくだものや商品を買って食べれば、GDPは上がります。(ね、本当なら、地元のものを買って、地元にお金が残るようにするべきじゃないですか?)
一方、長距離運転で環境汚染をしても、GDPには悪影響しません。木々を切りたおし山が荒れても、地下水を採水しても、原油を採掘しつくしても、天然資源の減耗分はGDPから引き算されません。反対に、自然災害のあとの復旧工事、原発事故で放射能汚染された地域の「移染」など、人間の幸福・福利をそこなう事象や活動をしてもGDP値は高められるのです(Stiglitz, Sen, and Fitoussi, 2009)。
C)幸福度には関係ないGDP
収入の増加は、必ずしも人々を幸せにするとは限りません。イースタリンという経済学者は、1958年~1987年の間、日本の実質所得が5倍に増えたものの、人々の平均的な幸福値は上昇しなかったと明かしています(Easterlin, 1995)。一方、アフガニスタンで行われた研究によると、アフガニスタン(非戦闘地域)の人々は、世界の平均値よりも上で幸せだと報告されています(Graham, 2011)。人間はいくらでも環境の変化に、適応できるんですね。
したがって、社会の状態や生産活動をつかみ測定しようとすると、GDPは的はずれなズレた値を表します。
少し考えれば、わかることですが。身長の測定は、体重計ではできません。また、こわれた体重計で、正確な体重ははかれません。それぞれ別のハカリがいります。別のモノサシの例として、「知性」「頭がいい」の基準があります。もしあなたが、日本語が得意で英語が不得意だとします。「頭がいい人」を判断するために、かりに国語ができる人は50点で、英語ができる人は倍の100点という配点をつけると、あなたは「不平等」だと怒るでしょう。
それに、たとえば。大金持ちのスターでも、あまり字が読めない人を「成熟した大人」と思いますか?経済はまずまずだけど、国民の大半が不健康とか早死にする国を「豊か」と呼べますか?飢え死にする人がいる国とか、弱いものいじめをする社会が、豊かと思えますか?
同じように、経済規模だけで、国のゆたかさや国がただしい方向に向かっているかどうかということも、判断しがたいのです。また社会の進歩や人の幸福度にしても、どういう風に判断し測定するかも、人それぞれの価値観や評価でちがってきます。日本社会では何が進歩であるか、どうすれば日本人がもっと幸福で、国を誇りに思い、愛せるようになるかということを大いに話すべきじゃないでしょうか。また、そのような必要性を、イスタンブール宣言で、強調しているわけですが。
日本では、社会の進歩や未来についてあまり公に討論されることもなく、経済の成長ばかり強調されてきています。ゆがんだモノサシで物を測定して、そのまちがった基準を正しいと国民が信じれば(信じさせられれば)、国はまちがった方向に行ってしまいます。経済成長じたいは、悪いことではありません。ですが、それは日常を幸せにすごすための手段であって、目的そのものではありません。その手段で、社会を、一人ひとりの人生を、どうしたら少しでもよく変えていけるのか。それが大事な問題なのです。
現在、世界的に一致した幸福度や進歩という、めやすはありません。ただ世界的な傾向として、大きな格差や不平等がある(日本のような)国は、民主主義とは、いえない。社会の進歩は、経済成長や発展の手段だけでなく、結果や平等・分配を重んじ、また経済の発展など一面だけで判断できない多面的なものであるというのが共通の理解です。海外では、国民の幸福度に注目して、国の豊かさをはかろうとする動きもあります(国は経済大国なのに、国民はふしあわせって、ヘンですものね)他には、もっと地球環境のことを考えた尺度をつくろうとする団体もあります。
みなさん、中学生・高校生だからこそ、はっきりと目につく大人の愚かさもあるでしょう。あなたなら、日本をよくするために、どんなモノサシや目標をつくったらいいと思いますか?
追記
ちなみに、引用したアマルティア・センやジョセフ・スティグリッツという経済学者たちは、GDPとは違う、もっと新しくて、みんなが納得できる、もうちょっとマシな尺度をつくろうと提案しています。GDPの前は、GNPという尺度をつかっていました。それを開発したのは、サイモン・クズネッツという学者で、GNPが国の発展や進歩の目安として使われることを、とっても心配したのですが。結果的には、彼が望んでいない方向に世界は進み、GNPはやや測定や名前をかえ、現在に至っています。
p.s. ビデオは、ヘレナ・ノーバーグ=ホッジさんの最新ドキュメンタリー「幸せの経済学」
引用文献
Graham, C. (2011). The Pursuit of Happiness: An Economy of Well-Being. Washington, D.C.: The Brookings Institution Press.
Easterlin, R. A. (1995). Will raising the incomes of all increase the happiness of all? Journal of Economic Behavior and Organization, 27(1), 35–47.
Stiglitz, J. (2009). Progress, what progress? OECD Observer. oecdobserver.org - Progress, what progress?, accessed June 17, 2013.
Stiglitz, J. E., Sen, A. K., & Fitoussi, J.-P. (2009). Report by the Commission on the Measurement of Economic Performance and Social Progress. Stiglitz-Sen-Fitoussi report, accessed June 17, 2013.
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