Inequality and Precarity in Japan: The Sorry Achievements of Abenomics
By Sachie Mizohata, translation from Japanese and introduction
Japan was known as the home of a strong middle-class in the affluent 1980s, the fruits of its prosperous economy distributed more equitably than in many comparable high-income countries. Yet strictly speaking, contrary to popular perception, Japan was not that “egalitarian.” However, public credence was set and the Wall Street Journal (1989) to tellingly (if hyperbolically) characterize this secure society with impressive equality and principled values as “the only communist nation that works.”1 Then, sea changes followed. This once “egalitarian” society is now widely (not least in Japan) recognized as a kakusa shakai (unequal society) in which income and wealth have become more unequally distributed than in many advanced economies.2 While widening wealth gap between rich and poor is a global trend as shown in the graph by Thomas Piketty and his co-researchers (Figure 1.1), in the case of Japan, in recent decades this has been accompanied by economic stagnation, rising levels of poverty, precarity, and public debt grafted on top of population aging.3 Against these backdrops, the second Abe Shinzō government started its economic policies, proclaimed as Abenomics, in an effort “to sustainably revive the Japanese economy” that was promised to trickle-down to all.4 Five years on, evaluations have taken place on the Abe program centered on hyper monetary easing, fiscal stimuli, and structural reform.
ピケティの「世界不平等報告書」の概要 一部・邦訳掲載
昨年のお正月。トニー・アトキンソンが亡くなったニュースを耳にした。
ある学会会場への帰り道、バスの座席に1人ですわる彼を見かけ声をかけたことがあった。それからホテルの会場まで Luxembourg Income Study や OECDの調査について話しながら、歩いて帰ったのを思いだす。翌朝も、席につくと目の前に彼がいた。なんとも謙虚で気さくな紳士が病気を患っていたことを知り、とても悲しかった。
今年になって「世界不平等報告書」を読んだ。彼の残した仕事を、同僚・友人であるピケティと世界の仲間である100人以上の専門家たちが受けつぎ、強化を図っていた。アトキンソン(アマルティア・センもアダム・スミスも)は、経済学の根幹をささえるのは倫理だと、くり返していた。
300頁にわたる報告書を訳すのはムリなので(経済の専門家たちがもっと上手に訳されるでしょうが)。特に興味をもった2ページを訳(意訳)してみた。グラフを見ると、われわれの共通財産である「公」の富が「私」へと移動していることがわかる。現在、公の富が私物化された、国有地の格安払いさげたという問題が取りざたされている。その諸問題の背後で、種子法は廃止され(みんなの種が、誰かさんの種になり)、TPP 協定はすすみ、アベノミクスと株価バブルで大企業と富裕層はさらにうるおう一方、公的債務は蓄積し、公ひとりひとりの教育や福祉への投資は減り、公的年金も減り、政府は人々の負託にこたえられず、国力が衰えていくという日本のすがたを映す鏡のようである。
アマルティア・セン 「障害と正義」世界銀行における基調講演 (和訳掲載)
アマルティア・セン教授が、障害者について話した講演録がある。それを日本語に訳する許可をいただいた。この講演は2004年とやや古いものであるが、彼が明らかにした問題も解決法も時をへて今なお新しい。
「正義論」というと、きれいごと、青臭い話、独善、あるいは気おくれなどのイメージを持つ人がいるかもしれない。嘘、変節、詭弁、論点ずらし、番狂わせ、詐術・・・・と空論のテクニックでやりこめるような論客がもてはやされる昨今の日本では、正義について語ること自体、空洞化してしまっている感は否めない。
そんなしらけ感を持つ人は、ぜひセンの著物を手にとってほしい。その正義というわかりにくいテーマをわかりやすい言葉で争点化し、彼が縷々と語るほてりを感じてほしい。そして論議をかさねた正義の哲学が、私たちの日常生活につながる政策や法律のもとになることを忘れずにいてほしい。
一般的に「正義」は理非曲直をいうが、アマルティア・センの正義論では分配の公平さや平等に関して論じられることが多い。正義という概念は、国のあり方にも行方にも大いに関係する。
インドシナにおける強制送還:「我々は歴史から忘れさられている」
Jérôme Jadot, Cécile Mimaut - www.franceinfo.fr "Les déportés oubliés d'Indochine" (21-04-2016)
今年4月、週末。のんびり朝食をとりながらラジオ(フランス・アンフォ)を聞いていたら、涙にむせびながら話す男性の声が耳に飛びこんできた。あんな風につらそうに高齢の男性が泣くのを耳にするのは、祖父が若い頃に(曽祖父の破産が原因で)苦労したといって泣いたとき以来である。
これは訳さなくてはいけないと思い、フランス・アンフォに一応許可を得ようと連絡したところ、約1ヵ月後に許可をいただいた。(こちらが忘れていることでも、欧州人は忘れていない!)できるだけ多くの日本人に、読んでいただきたい。
4月21日 2016年 ジェローム・ジャド(国営ラジオ フランス・アンフォ)
今週日曜日の強制送還記念日は、ナチスによる強制収容所の犠牲者への追悼と尊敬の意を表する。だがその日は、我々があまり耳にすることのない、第二次大戦中に強制送還されたその他の犠牲者たちを含むものではない。1945年3月~9月の間、15,000人のフランス人はインドシナの日本収容所に収監されていた。
キャンプの生存者のインタビュー。
Does the advertising giant Dentsu pull the strings of the Japanese media?
By Sachie Mizohata, translation from French and introduction
Original French article in INA Global
Introduction: How the Advertising Giant Dentsu Dominates Japanese Media Presentation on Nuclear Power?
French journalist Mathieu Gaulène describes the business practices of Dentsu and its competitor Hakuhodo, the biggest and the second biggest advertising companies of Japan respectively. Specifically, it examines how their close relations to the media and the nuclear industry play out in the wake of the 3.11 earthquake, tsunami and nuclear disaster. Focusing on Dentsu, Gaulène discusses how the marketing and public relations (PR) giant has dominated major media which large advertising contracts from the nuclear industry. The article is particularly timely as Dentsu unveils its deep ties to the Tokyo 2020 Olympic bid and the Panama Papers. Regrettably, however, with rare exceptions, there is little media coverage of the influence of Dentsu in mainstream Japanese newspapers and magazines.
According to the author, a partial translation of the French original was made by Kazparis (username), and quickly received more than 70,000 views on Twitter. Then, Uchida Tatsuru, a specialist in French literature, and HACK & SOCIETAS published two other Japanese translations. Soon after, Tokyo Shimbun and Mainichi Shimbun published long articles about Dentsu.
アマルティア・セン「一週間の一日一願」(スピーチ全和訳掲載)
2000年のシカゴ。場所はパルマー・ハウス(ヒルトン)。
中国人とフランス人の友人ふたりを誘い、その日、哲学学会に参加した。3人でエレベーターに乗りこむと、ホールの向こうにアジア人男性を見かけた。右往左往迷っている様子で「どこかで見かけた人だなあ」と眺めていると、その男性もエレベーターに乗りこみ、正面に向きなおり私の目の前に立った。その人の目を見ると、彼もにゅっと顔をつきだした。敏感に動作をあわせ応えてくれるのが、おかしかった。「セン教授ですか」と聞くと、「イヤァー」という答えが返ってきた。「これからあなたの講演にうかがうところです」というと「どこか知ってます?」と聞き返された。それがアマルティア·セン教授との初対面である。
あの頃と比べると、教授は年をとられたかなと感じる。だが頭脳戦では、彼は現役そのものだ。学会では、真綿で首をしめるというのか、ドミノ倒しというのか。彼の論考は見えない赤い糸でつながっているのだが、丁寧に答える彼の姿にカモフラージュされて、次のドミノ牌がどこから倒れてくるのか分からない。いつのまにか気がつくと、論戦相手の有名教授がこてんぱにやっつけられるのを、私たちは見てきた。同じ碩学でもセンのは奥行きがあり、それが彼の魅力なのだと思う。同時に、畏怖も感じる。