Jérôme Jadot, Cécile Mimaut
www.franceinfo.fr "Les déportés oubliés d'Indochine"
今年4月、週末。のんびり朝食をとりながらラジオ(フランス・アンフォ)を聞いていたら、涙にむせびながら話す男性の声が耳に飛びこんできた。あんな風につらそうに高齢の男性が泣くのを耳にするのは、祖父が若い頃に(曽祖父の破産が原因で)苦労したといって泣いたとき以来である。
これは訳さなくてはいけないと思い、フランス・アンフォに一応許可を得ようと連絡したところ、約1ヵ月後に許可をいただいた。(こちらが忘れていることでも、欧州人は忘れていない!)できるだけ多くの日本人に、読んでいただきたい。
4月21日 2016年 ジェローム・ジャド(国営ラジオ フランス・アンフォ)
今週日曜日の強制送還記念日は、ナチスによる強制収容所の犠牲者への追悼と尊敬の意を表する。だがその日は、我々があまり耳にすることのない、第二次大戦中に強制送還されたその他の犠牲者たちを含むものではない。1945年3月~9月の間、15,000人のフランス人はインドシナの日本収容所に収監されていた。
キャンプの生存者のインタビュー。
インドシナにおけるレジスタンス・ネットワークの会によると、彼は拷問が行われた日本収容所の最後の生存者である。レイモンド・ボネ93歳。瘠せた身体、骨ばった両腕、グレーの髭。昨年、妻がなくなり、彼はアンティーブの洒落た平屋の一軒家に一人で住んでいる。時々、不意に記憶は遠のき、また蘇ってくる。彼が拘束されていたキャンプでの記憶のスケッチである。
「我々がいたのは、大きな木柵でできた3m × 4m程度の独房タイプのものでした。それは檻でした。50センチほどの小さな戸をくぐり、出入りしました。四つんばいになってです。我々は、横たわることも壁にもられることも許されていませんでした。部屋の真ん中にいるよう命じられました。食べ物は、一日あたり卵くらいの大きさのおにぎりが2個。体重は25~30キロほど落ちたと思います」とレイモンド・ボネは語る。
日本が降伏し1945年9月に解放されたとき、23歳の青年の体重は、約40キロほどだった。
元弁護士のフランソワ・カルティニーは、インドシナで亡くなった旧軍人2人を「強制送還による死亡」と認定するよう主張してきた。強制送還記念日はインドシナの犠牲者も公的に含むべきだと、彼は求めている。
レイモンド・ボネは、1945年3月逮捕された。その頃、日本はインドシナに進駐していた。22,000人のフランス人一般市民は自宅軟禁となり、他の15,000人、その多くが兵士で彼らは拘留された。その一人がレイモンド・ボネである。若きレジスタンスの戦士は、ネットワークの構築を支援するため、その数日前にパラシュートで降下していた。裏切られ、彼はドイツのゲシュタポにあたる日本の秘密警察、恐ろしい憲兵隊の手中に落ちる。彼は殴られ、拷問を受けた。特に、水責めを受けている。
「私ははしごに縛られ、彼らは私の顔に布をあてました。私はよく覚えています。蛇口、管。息がつまり水で溺れるまで、男は延々と水をかけました。本当につらかった」とレイモンド・ボネは回想する。
その後、勾留場所は何度か変わった。少なくとも350人の他の収容者とは相異なり、彼は生き残ることになる。化膿傷、赤痢、マラリア、および死刑通達にもかかわらず、近づいていた処刑を彼は回避している。
今日、レイモンド・ボネは忘れさられているように感じている。彼はデコレーションやレジスタンスのメダルや軍事功労勲章などを、受け取ってはいるのだが。カーディーラーとしての仕事を終え、人生のたそがれ時に、この人生の部分が打ち棄てられているという感がある、と彼は言う。そのため数年前に、強制送還について本の中で語りたいと彼は強く望んだ。*
「人々はインドシナで何が起こったのか知らない。だから、私は書きたかった。人々に何が起こったのか、私は知ってほしかった。ヨーロッパでは終戦だったので、人は気にもかけなかったが。人々は苦しがっていた。人々は思い出したくなかったのだろう」とレイモンド・ボネは言う。
興味の欠如は、なおその上に、戦後は[シャルル・ド・] ゴール・共産主義派で支配されており、つまりインドネシアのフランス人の運命というのはヴィシー政権と結びつくので、それを哀れむのを良しとしなかったためだと歴史家たちは見ている。植民地時代のロビーは、自己防衛に長けていない。
ジャン=ルイ・マーゴリン、アジア歴史研究家、エクス=マルセイユ大学准教授による忘却理由の解説。
全国退役軍人事務局 (l'Office national des anciens combattants et victimes de guerr) によると、1,000人以上がインドシナにおける強制収容者として、認定されている。しかし、そのなかで「強制収容による死亡」と認められたのは、2人だけで、しかもごく最近の2月のことである。78,000人を超えるうちの2人である。つい最近、退役軍人長官は、日本帝国の犠牲者たちを強制送還の記念日に含むよう認めるという考えを退けた。
退役軍人事務局の認定・補償担当の責任者のダニエル・アルノーは、インドシナの強制送還は忘れられていないと位置づけている。
参考文献*
- Raymond BONNET. Condamné à mort par les japonais (日本人に死刑を宣告されて). published by Editions du Bailli, 2014.
- Jean-Louis MARGOLIN. Violences et crimes du Japon en guerre 1937-1945 (日本国の暴力と戦争犯罪1937-1945). published by Hachette