2000年のシカゴ。場所はパルマー・ハウス(ヒルトン)。
中国人とフランス人の友人ふたりを誘い、その日、哲学学会に参加した。3人でエレベーターに乗りこむと、ホールの向こうにアジア人男性を見かけた。右往左往迷っている様子で「どこかで見かけた人だなあ」と眺めていると、その男性もエレベーターに乗りこみ、正面に向きなおり私の目の前に立った。その人の目を見ると、彼もにゅっと顔をつきだした。敏感に動作をあわせ応えてくれるのが、おかしかった。「セン教授ですか」と聞くと、「イヤァー」という答えが返ってきた。「これからあなたの講演にうかがうところです」というと「どこか知ってます?」と聞き返された。それがアマルティア·セン教授との初対面である。
あの頃と比べると、教授は年をとられたかなと感じる。だが頭脳戦では、彼は現役そのものだ。学会では、真綿で首をしめるというのか、ドミノ倒しというのか。彼の論考は見えない赤い糸でつながっているのだが、丁寧に答える彼の姿にカモフラージュされて、次のドミノ牌がどこから倒れてくるのか分からない。いつのまにか気がつくと、論戦相手の有名教授がこてんぱにやっつけられるのを、私たちは見てきた。同じ碩学でもセンのは奥行きがあり、それが彼の魅力なのだと思う。同時に、畏怖も感じる。
セン理論の発展は、数々の学術論争・論戦の成果ともいえる。最近では、コロンビア大学のジャグディーシュ・バグワティー教授とのバトルが話題になった。経済学者ジャン・ドレーズとセンとの共著「An Uncertain Glory: India and its Contradictions (不確かな栄光:インドとその矛盾)」を、バグワティーが批判したことが口火となっている。経済成長は大事であるが、それは人々が幸せに暮らすための単なる「手段」で「最終目的」ではなく、インド政府はまず教育、医療、食糧供給を重視し支出すべきだとするドレーズ&センの主張に対し、バグワティーは規制緩和による経済成長をひたすら追及すべきで、富裕層が潤えばその恩恵が残りの層にもしたたり落ちるトリクル・ダウン現象が起きると主張した。
だが最近、OECDもトリクル・ダウンは起こらない、と正式に認めるに至った。(日本の政治家たちは、この記事を読んだだろうか?)
- The Guardian, Tuesday 9 December 2014: ’’Revealed: how the wealth gap holds back economic growth - OECD report rejects trickle-down economics, noting ’sizeable and statistically negative impact’ of income inequality’’ by Larry Elliott, economic editor
- Japanese summary on Inequality and Growth (PDF document) by the OECD
今年の1月に開催されたジャイプル文学フェスティバル2014で、セン教授が基調講演を行った。いつもながら機知に富んだユーモラスな講演の冒頭で、彼は中型専門の物事をつかさどる女神を登場させる。そしてその女神が一日にひとつ、一週間分あわせて七つの願いをかなえるとセンに確約する(特大でもLサイズでなく、Mサイズ祈願というところに深い意図があり、話のオチへとつながる)。七つという制約にもかかわらず、細かく指定した所願をまとめてひとつの願い事にするところも、教授のちゃっかりお茶目なところである。見た目は老年であるが、語り口は暗夜の星に願い事をする少年のように純粋だ。講演エッセイは、インド人リーダーへの改革提言としても読めるし、日本社会への警告として理解されるべき部分も多々ある。
そのエッセイを、日本語訳にしインターネットに掲載する許可をいただいた。(誤訳や改善案があれば、ご指摘していただきたい)
彼からの日本のファンへの早めのクリスマス・プレゼントだと思い、大喜びしている。セン先生の面白さが皆さんに伝わりますように。
ジャイプル文学フェスティバル2014 ― アマルティア・セン教授の基調講演
「一週間の一日一願」
ジャイプル・フェスティバルに招待されまして、そのようなエリートが参集する開会の挨拶にあたり、私はおのずと緊張してしまいました。しかしながら10日ほど前に、インドが堂々世界のエリート・クラブ入りを果したと、新聞に実に全紙に載っているのを見ました。インドのタイム紙の見出しには「GSLV―DV打ち上げ成功、インドがエリート・クラブに仲間入り」とありました。インド人の私としましては、エリート・クラブ入りへの危惧をすぐに消し去ったわけですが。私はGSLV―DVが何か、また何をするのか、知らないという問題があったのです。調べてみますと、それがGSAT―14通信衛星の搭載で有名だと知ったのですが。それを知っているだけで十分な気がします。それで私の研究所をはるかに超えたものと交流するために、GSAT―14通信衛星を使ってみることにしました。
雲のはるか上でひときわ際立った姿をした方に私は出あい、その人はミディアムの物事の女神であると名乗られたのです。「あら、まァ。ミディアム(並)とおっしゃいますが、とても麗々しいお姿です」と私が申し上げますと。「ラージ(大)の女神にお目にかかってごらんなさい」とお答えになりました。「どうぞ彼女を紹介してくださいませんか。でも本当にあなたは女神なのですか」と私は申しました。「さようでございます。先ほど申しましたように、ミディアムの事がらの女神です」と彼女はきっぱりとおっしゃいました。「でも、いいでしょう。わたくしはざっくばらんなので、GMTと呼んでくださって結構です。それが愛称です」「GMT(グリニッジ標準時間)というのは、時刻系の一種ですよね?」と私がうかがいますと。「そうですよ。正確な時間を知らせることもできます。それもわたくしの職能です。でももっと大事なのは、国に関するあなたの願い事をひとつ、否ひとつ以上聞き入れることですよ」「まァ、うれしや。七つの願い事を、一日にひとつ一週間分の祈願をしてもかまいませんか?どうぞ、お願いです。そうさせてください」と私は申しました。
「よろしいでしょう。でもどうしてそんなに急いでらっしゃるの」と女神がお訊ねになり、私はそのわけを申しました。「ジャイプール文学フェスティバルに行く予定なんですが。女神は、その有名なフェスティバルをご存知ですか?」「ええ。ですが、それはもうわたくしでなく、ラージ(大)の物事の女神が担当なさるくらい大きな事でございましょう。でも、あなたの力になりましょう。文学に関する中サイズの願いをおっしゃってください」とGMTは言われました。
それで、私は話しに乗りだしました。「言語、文学、音楽や芸術では、古典的教育があまりにもないがしろにされております。サンスクリット語を修得するのは、ほんの一握りの人たちになりました。古代ペルシア語、ラテン語、ギリシャ語、アラブ語、ヘブライ語も古典タミル語も、そうです。バランスのとれた指導をする古典教育が必要不可欠です。ビジネス志向にますます片寄る今日のインドでは、全般的に人文教養の場がなくなり、明らかにして問題となりましたね、女神さま」「ですが、あなたのサンティニケタン村出身のラビンドラナート·タゴールは、科学教育が無視されていると不平を口にしたものですよ。あなたは彼の逆だと言うのですか?」と彼女。「マダム。それはもう過去のことで、これは今のことです。ラビンドラナートの存命中はそうでしたが、当今の卓越した学生たちはインドのどこでもそうですが、科学技術系に進学し人文教養を見下すのです」と私は述べました。
「ですから、人文科学がインドでもっと重要な役割をになうのを望んでいらっしゃるのね?」と女神がお尋ねになったので「まァ、そんなところです」と申しました。「曖昧な事をおっしゃるのね。そんなところですって。もっとはっきりとした考えを持つべきですわ」とGMTがおっしゃるので、「もっとハッキリとは?もっと正確にということでしょうか、親愛なる女神さま」と私はうかがいました。「いいえ、あなた。ものごとを言明するには、正確な(数量や規模などの)大きさの計算が欠かせないという、よくある思い違いをしてらっしゃるわ。本質的に不正確な物を的確に表現するのは、しかもこの世で最重要なものごとというのは曖昧なものですが、その不確定度を掴みとることであって、別物にすりかえたもので置きかえてはなりません。(アリストテレスとかいう男が2千年前にそうしたように)必然的におぼろげなアイディアを、明確に言い現せるようになるべきです。ですから、それが人文教養が大切な理由のひとつでもあるのですよ。小説というのは、非現実的な数値や数式で掴みとるふりをせずに、真実を捉えることができるのです。それでは、もう二つ目の願い事にまいりましょう」
「では、政治の話題でもよろしいでしょうか?」と私が申しますと。GMTは驚いた様子もなく、こうおっしゃいました。「あなたの左翼的な傾向からしますと、何をお話になるかわかる気がしますわ。インドではあなたは左派でございましょう?」「ご明察のとおりです。政治に関する私の大願は、セキュラーでコミュナルな(宗教対立的でない)右翼が勢いよく栄えることです」「なぜですの?」と女神はやや戸惑ってお訊ねになりました。私はこう答えました。「宗教を政治の手段とせず、しかも特定の宗教集団も優先しないことが、頭がキレて市場とビジネスを勧奨する政党の要件となります」
GMTはおっしゃいました。「確かに、インドには過去にそのような党がございましたし、本当に優秀な人たちに率いられた党でしたね」「そうです、マダム。それはスワタントラ党といわれ、ミノオ・マサニはその指導者の一人であり、本当に素晴らしい人でしたが。もうその党はなくなってしまいました。それがまた復活するといいなと私は思います」「思いださせていただけません?」とGMTはおっしゃいました。「このミノオ・マサニという人は、非・自民族的な施政を支持し、彼はフランスの革命家たちが呼ぶところの『博愛』を信じて疑わなかったのでは?ある講演で、博愛について何か皮肉なことを発言したのを思い出しました」「そうです、女神さま」とGMTに申しました。「彼は徹底して宗教色を排し、かつ博愛を推していました。ですが1946年の発言で、マサニは博愛というものを讃えてきたが、フランス革命後その言葉が誤用されるようになってから、ことさら使わなくなったと述べました。1946年の12月17日インドの憲法制定議会で、『私は弟を紹介するとき、従兄弟と呼ぶ』と言い切ったのです」
「ではそちらが、あなたの支持政党なのですか?」と女神は問ただされました。「いえ、全く違います」と私は申し上げました。「でもそんな政党があればいいなあと希うのです。政教分離のビジネス指向の政党で、しかもインドのための政治を行う政党という選択肢が国民にあればいいなあと。右派のビジネス指向の政党が、宗教に帰依する政治と連立し寄りかかってはいけません」
「OK」とGMTはおしゃいました。「もう少し手短に説明していただけません?そんなに時間もございませんので。あなた、わたくしにお話しされてるのであって、ジャイプール・フェスティバルで講義をなさってるのじゃありませんわ。三つ目の願い事は何でございましょう?」「左派がもっと強くもっと頭のすっきりした党へと転化し、インドで本当に貧しく虐げられた人たちの貧窮状態を取りさることに全力をつくしてもらいたいのです」「ですが、アメリカ帝国主義との闘いに尽力するという、彼らの優先順位はどうなりましたの?」とGMTは疑問を呈され、こう続けられました。「今やソ連はなくなり、市場経済では中国がアメリカを負かし、ラテン・アメリカやベトナムは経済・社会的にも勃興し競合しております。確かにインドの左派だけが、アメリカ帝国主義との闘争をになう唯一の党ですわ。それに左派は哲学的な途に腐心するあまり、議席を減らしてしまいました。左派が独自に考え改めなければ彼らを政治的に強化することは、わたくしにはできませんわ」
「彼らが考えなおしてくれるよう願ってます」と私は申しました。「左派が本当にしなければならないのは、インドの真に貧しい人々のひどい生活苦を一変することです。古びた帝国主義の知識を大事に抱えることでもなく、他党と同じく一部の中産階級のための安価な便益をはかるのではなくて」「また講義がはじまりましたね」とGMTはおっしゃいました。「でもまあ、わたくしは我慢強い女神です。仲間に対するあなたの愚痴も聞きもしましょう。さて、第四の願い事は?」
「私はメディアが、ごく貧しい人たちのニーズにもっと応えて欲しいと思いますし、派手なエンターテイメントや商機ねらいだけの宣布をひかえてほしいのです。補助金は経済的資源の散財だと、マスコミが不満をあらわにするのはもっともなことですが。裕福な人々のための給付はとがめず、かたや失業者や飢えた人たちへの扶助金給付は報道で激しくバッシングされています。雇用や食費扶助の財政的無責任さに関する記事を読んだり、メディアを見聞きしますと、電気のある暮らしができる恵まれた人たちには(インドの人口の約3分の1は電気のない暮らしです)ディーゼル代も扶助され、肥料代も安く、低コストの調理用ガスも供されていて(大半のインド人は、このようなものを使う道具すらないのです)、貧しい人たちの食糧や雇用のための扶助よりも、政府が何倍も補助金を支給していることはあまり知られていません。最新の統計は次のようなものです。食糧補助金はGDPの0.85%を占め、雇用保証制度(NREGA)はGDPの0.29%になります。これを様々なかたちで、光熱扶助と比べますと、電気のある暮らしをしている人たちへはGDPの1%以上おそらく2%に近く、それに0.66%の肥料扶助金、0.97%の石油扶助金(ディーゼル、調理ガスなど)も加わることとなります。ですからものすごく批判される貧窮や失業のための扶助金は、GDPの1.14%を占めるわけですが、裕福な人たちのための光熱、燃料、肥料などは最低でも2.63%、おそらくGDPの3.63%に近い按分で、貧窮者や失業者のために割りあてられる扶助金の3倍にもなります」
「しかし」私は続けました。「新聞を読んだりメディアを聞いたりすると、貧窮者への食糧や雇用のための生活扶助金がインドの公的資金を圧迫しているように思われがちです。政府は富裕層に、2~3倍の扶助支給しているにもかかわらずです。医療には政府は、GDPのわずか1.2%しか投じておらず(中国では3%近くになります)、それらは光熱、ディーゼル、調理ガス、肥料など比較的裕福な人たちへの、つまり政治に声をあげる人たちへの扶助金よりはるかに少ないのです。
世界で最も活気ある報道機関が、最貧窮者のためのニーズや苦境を報じず黙ったままでいるのは、嘆かわしいことです。3割のインド人は、電気のない耐乏生活をいとなんでいるのですよ。メディアは大騒ぎをしたことがありました。それももっともなことですが。行政のひどい不手際のために2年前の7月のある日、約600万戸が停電したことがありました。ですが、その600万戸のうち200万戸は全く電気のない暮らしをしているのを、あえて報じませんでした。電気がないというのは、永続的な停電です」
「もう十分、十分。先にお進めください」と女神は言われました。「5番目の懇請は簡単です」と私は申しました。「なぜなら私が何十年もしつこく批判してきた、国民の生活苦です。あまねく子どもは、きちんとした学校に行かなければなりません。国民には予防ケアをはじめとする医療ケアも不可欠です。女性が男性よりも不遇な人生を送るようではいけません。この国は(もちろん、世界中の一番飢えた人たちもそうですが)栄養不良の子どもたちであふれてかえってはいけません。すべての子どもは予防接種をうける必要があります(1/3が取り残されるようではいけません)。国民皆がトイレ付の家に住むべきです(インドは世界のエリート・クラブ入りをしたようですが、人口の半分は野外で用を足しているのです。)また良い高等教育と持続可能な発展も欠かすことはできません」「あなたは別々のものを並べて、ひとつの願い事とおっしゃるのね。でもわたくしは心の小さい女神ではありません。なにしろ中位の物事の女神ですから」GMTがこうおっしゃいました。
「でも、あなたが願うこれらすべてのものは、経済成長で生じた諸資源を同胞のインド人が賢くつかえば簡単にできることでございましょ。しかも、相互作用で創発も起こりえます。これらの軸となる変化が、結果的に人の能力/技能の向上につながり、ついには経済成長の持続に資することでしょう。と申しますのも、健康でかつ教育を受けた労働力の育成確保ほど、経済繁栄に大事なことはございません(中国人、日本人、韓国人や他のアジア人にお尋ねになってみてください。彼らが教えてくださいますわ)つまりそれが、東アジア発展史におけてインドが学べなかった最大の教訓ですね」
「女神さま。その件に関して私も同感ですので」と私は申し上げました。「最近、同性愛を再犯罪化したインドにおける特別判決について、願い事をしてもよろしいでしょうか?1861年に英国人の支配者たちが同性愛を犯罪とする判決を下し、それにより警察の脅迫や処罰の対象として多くの人々を弱い立場においこみました。その刑法377条は、デリー高等裁判所によりインド憲法が保障している個人の権利に反するものとして覆されましたが。その後、最高裁判所が、二人の裁判官に代表される高等裁判所が、その申し立てを覆し、あくまでもプライベートな行為をまたもや社会的な罪としたのです。この最高裁によって覆された判決を、もう一度覆していただけませんか、女神さま?」「さようでございますね」と女神はおっしゃいました。「どうすれば最高裁が考え直すよう、説得できましょうか?雲の上の女神が懇請するより、最高裁がインド国民の声に耳を傾けてくれますようにと」
「次にまいりましょう」GMTは続けられました。「まだ願い事がございまして?」「よろしいですか?国の性質ならびに民主主義により生みだされる様々なチャンスなど、私はインド人がこの国独自の力を認識してくれるのを願っております。それらは庶民党のアーム・アードミ党に巧みに利用されたように(彼らは学ぶべき政策がたくさんありますが)」インドの政治腐敗は著しく、それが選挙の主な争点にもなり、民主主義のもとでは大幅な行政改革が長期的解決の最善の方法であります。しかし、もうすでにたくさんの成果もでておりますし、ビジネス界がなすこと以外、何も功を奏さない特に国は何もできない(と大勢の人たちが繰り返しいうように)のでもありません。英領インド帝国が終わるまでインドは家族からなる国で、独立以降は社会的活動のおかげで、飢饉も発生しませんでした。インドではエイズは流行史最悪の事態になるだろうとも言われましたが、世間が注目し社会的運動のおかげでそうなることもなく、脅威を取り除くことができました。ポリオ撲滅も政治的にとてもデリケートな問題となりましたので、様々なことが起こり、インドはポリオを根絶しました。秋には、ベンガル湾沿岸にカトリーナの何倍もの規模の巨大サイクロンも上陸しましたが、政府が百万人の人々を早めに避難させ、事なきをえました。インドの社会的成果は低いのですが、ケララ、タミル·ナードゥ州とヒマーチャル·プラデーシュ州など変革を起こそうとした地域では、教育と保健医療ではめざましい成果をあげましたし、経済成長でもそうです。これらのかつて貧しかった地域が今や一番裕福な地域になりました。そういうことを心に留めておけば、私たちはいろんなことを達成できます。
「男女の不平等をみてください」と私は続けました。「レイプ事件により、この問題は今かなり着目されており、それは改善しているといえるでしょう。ですが、まだ認識不足の点がいくつかあります。インドで報告されているレイプ被害率は低いのです(インドで10万人につき1.8件、アメリカでは10万人につき27件、英国では29件)。これは問題がかなり過小評価されており、特に被害者が貧しい階級や権限の限られた階級である場合です。しかし、インドでレイプ被害率を10倍にしても、依然として英国やアメリカやほとんどの国々よりも低いのです。主な問題はインドでの高いレイプ被害率というよりは、警察から協力を得たり被害者を支援したりすることの難さであり、また社会が脆弱な女性への、特に貧しい層や特権の剥奪された階層やカースト出身の女性への性的暴行に目を向けるからです。今いくつかの取り組みが行われ、最貧層の家庭出身の少女の性的人身売買をやめるなどの改善が見られます。しかし、もっと多くのニーズに応じるべきですし、実際に行おうと思えばできることでもあります」
「当然のことながら、女胎児の選択的中絶が横行し、インドの全体的な男女比は欧州諸国よりもはるか低いことを人々はなはだ心配しております。しかし、インドの約半分の州では、実に南部と東部の全州ですが(ケララ州やタミル·ナードゥ州から西ベンガル州アッサム州まで)出生時の男女比はヨーロッパの比重と似ておりますが。北部と西部の全州では男女児比が欧州よりも著しく低く、それがインドの平均値を下げているというのが実状です。ですからインド内だけでも、学ぶことがたくさんあります。GMTさま、インド人の敗北主義を少し打破するよう助勢してくださいませんか?」と私はうかがいました。
「わたくしには、そんなことはできませんわ」と女神はおっしゃいました。「それは敗北主義という思い込みを、インド人自身が変えなくてはなりません」「そんな、気落ちするようなことを」と私はもどかしく、つい口にしてしまいました。「そんなことは、ございません」と女神は仰せられます。「これらの問題はあなた方で全部解決できると、わたくしは申しあげているのです。誰の力ぞえもいりません。何が問題であるのか、どのように解決できるかを、あなた方が見出せばよろしいのですわ」「ですが」と私はぼやきました。「問題が何で、それをどうやって解決できるかを見つけたとしても、どうすればその知見を分かちあい、インド国民が真の課題について興味を持つようになるでしょうか?」「そうですね。ソーシャル・メディアも役立つ手段でしょう。その上もっと大事なことは、もっと本を読むことですわ」
「それに」と女神は加えました。「あなた、もうジェイプール・フェスティバルに行く時間でございましょ」素敵な女神は忽然と雲の上に消え去り、私は世界的に有名なGSLV-DVが立ち上げた自分の小型GSAT-14に戻り、フェスティバルに直行してきました。皆さんにお越しいただき感謝いたします。ご静聴ありがとうございました。
溝畑さちえ訳
- Penguin Books India publishes A Wish a Day for a Week (2014) by Amartya Sen, economist and philosopher